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わたしの暮らし

おばあちゃん(姑96歳)脳出血から35年、認知症(ピック+後にレビーの混合型)歴33年。天寿を全うしH30.11.28永眠しました。 実母は13年間ほどツハイマー病と共に生き、R2.5.4永眠しました。嵐のような時を経て、今は穏やかなわたしの暮らしです。

いまさら (ピック病)

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昨夜、NHK教育の「福祉ネットワーク」を見た。
テーマは「ピック病のケア」(こちらをクリックすると、NHK福祉ネットのHPで放送内容がご覧になれます)
2006年1月25日の再放送とのこと。

この「ピック病」、実はうちのおばあちゃんの徘徊がひどかったころ、日赤の精神科にかかっていて、そこで告げられたのがこの病名だったのだ。
しかし、今から22年も前のこと、この病気に関しての研究は少なかっただろう。
私が調べた本にも詳細には触れていなかった。
で、撮ってくれたCTの画像を見ながら「ここがこうだからピック病ですよ。」といった説明を受けたわけでもない。これは、詳しく聞きかえさなかった私がいけないのだが。
だから、真実はわからないのだけれど…


この番組を見て、徘徊の形態や行動をあてはめ、やはりおばあちゃんはピック病だったのかも…と、思い当たる節がいくつもあった。だったのかもと過去形はおかしいかもしれないが、いまさら病名がなんであれ、構わない心境だからだ。
だけど、今までず~っと胸につかえていたものがすっと落ちるように、納得できた。
それは、ピック病の徘徊はアルツハイマーの徘徊とは違って、「同じ所を日に何度も回る」と言われたことだ。今まで、幾つもの講演会も聞いた。その中で、「徘徊には必ず意味がある」と言われたが、どうしてもどうしてもおばあちゃんの徘徊の意味が見い出せなかった。

ピック病については、ようやく研究がすすんできたところだという。
脳の、感情やことばをつかさどる部分が破壊されることによって起こる病気。若年性認知症の3割以上を占めると考える専門家もいるそうだ。
この番組にでてきた女性の顔の変化が、おばあちゃんに重なった。

うちのおばあちゃんの徘徊がひどかったころ、当時は言葉が話せなくなっていて、コミニュケーションの手立てもなかった。発した言葉は、「いいから。」だけだったように記憶している。
非常にいらいらしていた。
家から出て、1周20分くらいの決まった田んぼ道のコースを、何かに駆り立てられるかのように歩いた。家に帰ってきて、片足を縁側に踏みあがるとクルリと向きを変え、また出て行った。
ひどいときには前のめりに今にも倒れそうで、走るように歩いていた。
食事の最中も落ち着かず、言葉も無く席を立ち、歩きに出かけた。もちろん、引き止めに応じることなんかなかった。

やがて年数の経過とともに、コースは寺をぐるりと回る5分に変り、回数も減っていった。
そのかわり、徘徊の場は家の中に変わった。
数年前まで、
よく、動物園のオリの中に入れられた猛獣がオリの中を決まった動きをするように、おばあちゃんは部屋の中で、まるで儀式めいた動きを、これでもかと繰り返した。
もしかしたら、今のすっとこどっこいとベッドからテレビの前の椅子に歩き、引き出しを開け、靴下を脱いで履いて、唾をこすりつけ…も、行動範囲が狭まっただけで同じなのかもしれない。

しかし、いまさら、おばあちゃんの病名が何であれ、おばあちゃんは、おばあちゃん。

それにしても脳の不思議を思う。
今のおばあちゃんの穏やかな顔、時おり笑顔も見せる。
話せる内容も増えた。歌も歌える。
こちらの指示が通じて、ご飯が食べられ、排泄の始末も抵抗なくさせてくれる。
夜も明け方まではぐっすり寝てくれる。


この穏やかな生活が、なるべく長く続いて欲しいと願っている。

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  1. 2007/01/25(木) 06:55:59|
  2. 介護
  3. | コメント:3
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コメント

私も見ました・・・

私の知っている認知症なんて、軽いもんだって思ってしまうほど壮絶でしたね。
前頭葉の萎縮?なのかな・・・まだ何も確立したものはないようでしたが、ケメコさんのお義母様がそうだったなんて。。。息を呑んでしまいます。

「認知症」の枠の大きさを改めて知ったような気がしました。
ひとくくりでは言えませんね。

ケメコさんも大変な時期を過ごしていらっしゃったんだ。。。
  1. URL |
  2. 2007/01/25(木) 23:26:58 |
  3. がうら #sfZnf73.
  4. [ 編集]

私も見ました。

たまたまhakoさんの好きな番組が無かったので3チャンネルを回したのですが、初めの症状のすごさに息を呑みました。認知症にもいろいろあるんですね。
hakoさんもびっくりしていました。

ケメコさん、大変な介護を経験していらっしゃるんですね。
改めて、今までの長い大変な日々のことを思ってます。
ず~~っとおばあ様のお世話をされてきたケメコさん、
すごいです!

TVの人は今では発症の頃とは別人のような柔和な表情をされていましたが、ケメコさんのおばあ様もなんですね。
怒涛の後に神様が下さった贈り物。
あの穏やかな表情が眼に残ってます。

すっとこどっこい・・復活ですね。
なんとなくホッ・・
おばあ様の元気のバロメーターのような気がして。

人間って不思議だな~って思います。
  1. URL |
  2. 2007/01/26(金) 10:08:22 |
  3. tako #NdcHSqMo
  4. [ 編集]

◎がうらさんも
番組をご覧になったんですね。

認知症といっても、おっしゃるようにその症状は多種多様ですよね。
私の所属する家族会の会長さんの奥様も若くして発症、ピック病ではないのですが、周辺症状が激しくてね、ほんとうにご苦労されています。

テレビに出ていた女性の声や何か叩く音の録音テープが流れたでしょう。。
例の、騒音おばさんさながらの…
うちは、「はははは、消えろ消えろ~」と金切り声を張り上げ、かかとで床を踏み鳴らしている時期がありました。
周辺症状も、だんだん、だんだん内容が変わっていくんですよね。(-_-;)


異状に気がついた当初は、すごくいらいらして怒りっぽかったんですよ。
たとえば、トイレに行く途中で必ずというほど、近くでいい子で遊んでいる孫の頭をペシッと叩いて、平然と歩いていくとか。
私はてっきり脳出血の後遺症かと思いました。手術を受けた病院に連れて行ったのですが、CT検査の結果は、何処にも問題はありませんというものでした。
当時の医療では、わからなくても仕方のないことだったと思います。
脳出血から1年後、本格的な徘徊が始まる1年ほど前のことだったと思います。まだ私が、痴呆(当時の呼称)という言葉も知らないころのことでした。

徘徊の日々は壮絶でした。
でもね、あの頃は私も若かったから~
それに、世間知らずだったから我慢ができたかな?
でもね、最初に大変なことを経験しちゃうと、後は「あの頃に比べれば…」ってなんでも我慢できるから、経験って捨てたもんじゃないですよ~。^^


◎takoさん、
実は私も何を見ようかな~って、チャンネルボタンをあっちこっち押してみてたんですよ。^^;

義母様もご覧になって、内容がご理解できたんですね~。
うちのおばあちゃんたら、「認知症なんて言ってるね。私の耳よく聞こえるでしょう。」だって。^^;
目が見えないばかりではなくて、むずかしいことの理解ができないから、一緒に見られるんですけどね。

私がしてきたことは、介護というよりも見守りに近かったのかなぁ。
好きにさせておくより、なすすべがなかったです。
でも、人間の中には不思議な自然治癒力があるんじゃないかって、神秘も感じますよ。あれっ?ダメージを受けた脳が治るんじゃなくて、それを補う新しい回路ができるんでしたっけ?
大変な時期もありましたが、現在は本人も家族も落ち着いた生活ができていられることを、ほんとうにありがたく思います。

うちは身体が動くのでね、私の体の負担が少ないんですよ。
takoさんや、がうらさんのように、身体が動かない人の介護は、本当に大変だなぁと思いますもの。

お互い、看取りまではまだ長い道のりだと思います。
ほどほど頑張りましょうね。
  1. URL |
  2. 2007/01/26(金) 19:07:51 |
  3. ケメコ #1dGyOGuk
  4. [ 編集]

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